KOBE ART MARCHE

Interview 20 / 大宮エリー

ELLIE OMIYA meets KOBE ART MARCHE ELLIE OMIYA meets KOBE ART MARCHE

作家、CMプランナー、映画監督、演出家、時にはスナックのママ(WEBの双方向番組)。あらゆる肩書を持つ大宮エリーさん(以下、大宮さん)。大手広告代理店勤務を経て2006年に独立すると、ロックバンド、スピッツのために作った監督作品、映画「海でのはなし」(宮崎あおい、西島秀俊、菊地凛子、ほか)が公開されたり、週刊文春での連載「生きるコント」がスタートする。様々な領域に活動の幅を広げていく中、2012年以降は、パルコミュージアムにて体験型インスタテーションの個展を開いたことで、現代アートへ傾倒していく。2016年に十和田市現代美術館にて5ヶ月の個展。美術館を飛び出して街中にもパブリックアートを展開。陶芸作品も展示された。2017年には、小山登美夫ギャラリーにて個展、福井県金津創作の森美術館にて個展、とアート活動が活発化している。9月2日から2年間開催される、道後オンセナートにもアーティストとして参加が決定している。インスタレーションに絵画、陶芸、現在は写真展も開催中だ。常に新しい一面を世の中に見せ続けている大宮さんの元を訪ね、アートのことを中心に話をお伺いした。

Photo: Shingo Mitsui  Text: Shingo Mitsui / Yuki Teshiba

思いに応えるということ

大宮さんの最新写真展『スピリットチャージ』(ギャラリー『CAPSULE』にて:2017年7月1日~8月6日、カフェ『SUNDAY』にて:2017年7月1日~9月10日)が都内のギャラリーとカフェの2箇所で同時開催されている。去年出版された写真集『見えないものが教えてくれたこと』の写真を中心にした大宮さんの初となる写真展だ。

現在ではアート活動を軸に活動する大宮さんが現代アーティストとしてのキャリアをスタートしたのは2012年。初の個展『「思いを伝えるということ」展-造形と言葉のインスタレーション』(以下、思いを伝えるということ展)や初めて絵画を描くことになったいきさつなど、様々な思いを語ってもらった。

アートをはじめたきっかけを教えてください。
きっかけは2011年に渋谷パルコさんから「展覧会をやりませんか」って声をかけていただいていたんです。「展示するもの、ないです、、、」と伝えると、パルコさんがこう言うんです。「エリーさんはいろんな表現活動をしてきましたよね。映画ならこう、演劇ならこう。でも、アートはまだない。私どもは、大宮エリーがアートをやるとどうなるのか?それが見たいんです!」
そこまで言われたら応えないと粋じゃないと思って作ったのが2012年の『思いを伝えるということ展』でした。コミュニケーションを題材にした、体感できるインスタレーション作品を作ろうと思ったんです。ちょうど震災の後で、「自分の気持ちが伝えられない」とか、「自分の気持ちがわからない」というテーマの対談が多かったのでそれについて、言葉と舞台装置による、体験型インスタレーション作品を8つ作りました。たとえば、“立ちはだかるドア”というもの。大きなドアが3つあり床には無数の鍵が散らばっている。そこにことば。「人生には必ずこのドアが立ちはだかる。それでも開かれねばならないドアなのです」いろんな困難やドラブル、越えられないと絶望することってあると思うんですけれど、必ずみんな生まれながらに、鍵、を持たされていて、でもおとなになるとそのありかがわからなくなる。その鍵のありかは、インスピレーション、直感なんですね。だから、直感で、鍵を選んで開けてみてください。というもの。大きな重いドアが目の前で、ばーんと開いたときは、わあ!って何かすごくポジティブな力がそれぞれに生まれるんです。
初めての展示で何か印象に残ったことはありますか。
京都に巡回したときに、個展会場を出たところで女の子が泣いていました。話を聞いたら、彼女はアーチェリーの選手で、矢が的に当たらず悩んでいたけど、「立ちはだかるドア」が開いたときに的を当てる感覚を思い出せたと言うんです。この作品には「障害やトラブルは絶対乗り越えるきっかけをつかむ」というメッセージがあったので、うれしかったし記憶に残ってますね。
それから、「孤独の電話ボックス」が2時間待ちで、出てきた方がみんな泣かれていて。それは、私が、電話が苦手で、、震災のあと落ち込んで電話に出れないでいたのですが、たまたまかかってきた電話に間違えて出てしまい、でも言葉がでなくて、ただ黙って、友人の「もしもし!もしもし?もしもし?」を聞いていたんです。そうしたら、なんだか心があたたかくなって。ノックされているような気がしたんです。その体験から、自分から話さなくても、受話器をとると、電話から、いろんな人の「もしもし」と、「元気?」「大丈夫だよ」「また明日ね」という私がとても安心する4つの言葉が聞こえて来るようにしました。スーツ姿の方が、嗚咽してボックスから出てこられて、私まで泣きそうになりました。よかったな。。。
最近では絵画の作品が多いですが、昔から絵は描かれていたのですか。
絵は好きでしたけど学校の美術の時間くらい、あと写生大会ですかね? 本格的に絵の展覧会をしたのは、2015年の『emotional journey』が初めてでした。
絵を描くようになったのは、2013年に起こりました。
パルコミュージアムの「思いを伝えること展」の最中に、現代美術を扱う『小山登美夫ギャラリー』の小山さんから「展示のインスタレーションを貸してほしい」と言われました。福武總一郎さん(ベネッセホールディンクス最高顧問)が万年筆で有名なモンブラン主催の『モンブラン国際文化賞』を受賞されて、授賞会場に作品を飾りたいとのことでした。でも打ち合わせに行ったら話が少し違っていて、主催の方が「絵を描いて」と言うんですよ(笑)。
無茶振りがきっかけだったのですね(笑)。
そうなんです(笑)。会場でみんなの前でライブペインティングもしてほしいと言われて。
絵を描いたことなくて不安でしたが、でも、これもなにか「ドア」が開くことなのかもしれないと思い、画材を東急ハンズに買いに行って。当日、ワインを一気飲みして、主催の方の指示でもあるモーツァルトの音楽で絵を描きました。絵を描きあげたら、みんなが拍手してくれて。首をかしげていたら福武さんが、「最近欲しい絵がなかったけど、この絵はすごく欲しい、見ていて楽しくなる」と言ってくれたのですごく驚きました。でも、子供のように素直に嬉しかったです。会場からもういちど、暖かい拍手が。会場にいた生駒芳子さん(現・内閣府クールジャパン有識者会議委員)も「絵がすごいよかったから私の監修しているギャラリーで次の絵の展示をやってほしい」と。この話が実現し、2013年に、「愛の部屋」という展覧会をし、会場の壁一面に絵を描きました。これが、「A Direction」や、「赤い女の子」という代表的な巨大絵の誕生です。この絵や、それ以降にオファーがあって描いていった絵をまとめて展示したのが「emotional journey」なんです。

制作も鑑賞も直感で

アートは他のメディアと比べてどういう印象ですか。
例えば、映画は2時間、知らない人とひとつの場所で同じスクリーンを見る面白さがあります。本は本で行間があるからみんなと違うものを思い描けるんですけど、本でも映画でも完結までには時間がかかりますよね。アートは頭で考えなくてもいいんです。感じるだけ。そして感じたものをあとで、それはなんだったのかを考える。そこが面白いんです。私の場合、アートを見る時は、展示会場を小走りで駆け抜けて終わり。短い鑑賞時間の中で直感的に心にひっかかったものを、もう一度見返します。なぜ、惹きつけられたのか、理由を見つけに。
これまで見たアート作品で心を動かされたものがあれば教えてください。
アメリカの現代美術家ブルース・ナウマンさんによる『100生きて死ね』というネオン管で作ってある作品です。以前、香川県の直島にある美術館とホテルが一体化された施設『ベネッセハウス』に行ったことがあって、そのときに出会いました。「DIE」「 BORN」など相反する言葉がチカチカするんです。これを見た時に、地球を表現しているのかなと。ネオン管の一枚板なのに、それとむきあっているとき、宇宙から地球を見ているような感覚になり、その躍動感に、地球人のひとりとしていま生きている感動に涙がでました。いまでも残っていますね、あの感覚。
作品づくりも直感ですか?
直感と、そのあとの検証と。それでいいのか、本当に狙いとはまっているかどうか、かなり時間をかけて検証をします。いい直感が降りて来るために費やす時間も割と長いです。制作し始めると早いんですが、その前がかなり時間が、、。自分を良い状態に持っていくっていうのが大事になってきます。文章とか他の仕事はそうでもないのですが、絵画に関しては、そういうものが反映されてしまうきがするので、とにかく自分の状態をとってもクリアな状態にしてから製作します。

大宮エリーとして生きる

大宮さんは大手広告代理店を辞めると、週刊文春に連載エッセー『生きるコント』を執筆する。本作には、10歳サバを読んでいた父親の話や犬が欲しいエリーさんに反対して、ならばと自ら犬になってしまう母親など抱腹絶倒のエピソードが数多く収録されている。大宮さんが幅広く知られるきっかけを作った生きるコントはどのようにして生まれたのだろう。
独立した後、元々Yahoo!の無料動画として放送した『海でのはなし。』を劇場公開してみないかというお話を、リトルモアの孫社長からいただきました。これは会社員時代に作った「スピッツ」の楽曲のみで構成した動画なんですが、劇場用には撮ってないんです。いいのかなって迷いはありましたが、その心意気をありがたく頂戴し、お任せして、劇場用作品として公開することになったんです。本当にこれがきっかけで人生が動き始めたように思います。この作品を見てくださった文藝春秋の方から小説を書いてみないかと言っていただいて、それでもなんだか長いものはどうも書けず、そこから「エッセーのほうがいいな」と思ってお願いしました。週刊文春の編集長にお会いする機会を作っていただき、そこで、「ビキニ」というリオのカーニバルに行った話や、いくつかの鉄板エピソードをお話ししたら、「じゃあ、書いてみて」と言われ、いくつか書いて送ったら、連載が決まりました。文藝春秋のかたと、週刊文春のかたのおかげで、作家活動が始まったんです。「生きるコント」が本になり。。。。
生きるコントは反響がすごかったですか。
反響、ありましたね。人の話は書かずに、自分の話を書くというルールでやりました。人の話は場合によっては人を傷つけることがあるので。自分の話なら自分が傷つけばいいだけですから。だから、自分大好きって思われるのもどうかなと思いましたが、実はそうではなくて、自分をネタにして笑ってもらえたら良いなと思って書き続けた連載でした。ファッション関係の方やミュージシャンの方、ラジオ関係のかたなどいろんな方がそれを読んでお仕事をくれました。「今度ファッションショーやるんで、来ませんか?」とか。斉藤和義さんと知り合ったのも、生きるコントを読んでおもしろかったと斉藤さんが言ってくれていて、それがきっかけです。大宮エリーとしての仕事が、新しい出会いを作ってくれて、それが新規のお仕事にもつながったりして、不安だけれど、依頼してくださるかたを信じて、どんどん飛び込んでやっていくようになっていった感じです。
独立を決断した理由を教えてください。
もともと独立したかった訳ではありませんでした。会社員でいれば一定の給料ももらえるし、できれば続けたかった。でも、ホワイトボードへの行き先記入とか事務的なことが全くできなくて、、、。会社が「出張しなさい」と言っているのに、どうして出張申請をしないといけないのかなと思ったり、、。まあ、当然、会社は管理をしないといけないから、そういう書類が大事なんですが、そういうことがすごく苦手でした。苦手とかいっていられないので頑張るんですが、どうも下手で記入ミスも多発。「みんなできるのに、なんで大宮さんはできないんですか」と怒られて、、反省。これはなんだか私がいるとみんなに迷惑がかかるな。居ないほうがいいのかもな、と思って仕方なく辞めました。あとは更年期障害で辛そうにしていた母親のそばに居てあげたかったのもありました。それは大きかったですね。
映画を撮ってエッセーも書いてアートも制作するのは大変な労力ですよね。
誰かのためとなると、頑張れます。自分でやりたくて、というよりも、依頼されると頑張ろうって思うタイプです。いろんなことをしているように思われますが、自分にとっては一つのことをしているにすぎないです。表現活動をしているだけで、その場が、テーマによって場所が変わっているだけで。ライブなのか舞台なのか映像なのか、という。依頼してくださる人のほうが自分には見えない何かを見てくれているきがするので、それに応えたいと思ってやってきました。どう応えたかというと、料理に近いですね。なんか食べたいといってくれる人がいて、その目の前の人に何か作るというか。その人が喜んでくれるものを。そんだけです。

心に届く絵の熱量

2012年から2017年にかけてギャラリーおよびアートイベントでパフォーマンスや個展を行ってきた大宮さん。これまでの作品づくりで印象に残っているエピソードをお聞きした。
個展「Emotinlan journey」で展示された、『A DIRECTION』という矢印の作品は、ハワイ島のマグマ、そして、『赤い女の子』という作品は、ハワイ島の「ペレ」という女神がモチーフです。ハワイ島を訪れた時、酋長さんにお会いしたら、「女神ペレに挨拶にゆけ」と言われ、泣く泣くマグマが吹き出している危険区域に行ったんです。3時間くらい真っ暗な溶岩台地を、あちこち、マグマが噴き出しているのを避けながら歩き、酋長さんの言った、マグマが噴き出して海に落ちるポイント、を見つけ出したんです。そこで見た大地から吹き出す真っ赤なマグマ。その赤を見た時、涙がとまりませんでした。ああ、これは、“宇宙の愛”だ!って思ったんですね。無条件に私たちは愛されてるんだな、、と実感して、歓喜の涙が流れました。帰国後すぐ表参道の「GYRE」にて個展開催予定となっていて、キュレーターの生駒芳子さんに「愛の絵を描いてほしい」と言われました。展示前日に警備員さんに心配されながらあの、宇宙の愛を、目で見たものを、一気に描きあげました。みんなこの絵を見ると「熱い」っていうんですが、心の中では「そりゃあ火山の女神を描いているから」と思っていました(笑)。絵に火山のエネルギーが入っているんです。
絵を見ただけで伝わるものでしょうか。
伝わっていると思うんですよねぇ、ふしぎと。というのも、そう思わざる得ない出来事があったからです。それが私の絵を描く理由ともなっています。
沖縄から船で30分ほどのところに久高島という島があり、古くは岡本太郎さんも訪れたという、聖地なんですね。神人と呼ばれるシャーマンが多く住んでいた伝説の島です。遊びに行った時も不思議なことがありました。たまたま、その日は島の人しか知らない神事の日だったんです。でも、島の友人が、「エリーさんは久高の神様に呼ばれたんだよ」っていって、その神事に参加しなよって誘ってくれて。夜、宴会があり、それにも顔を出したんですが、神様にお供えしたお餅を食べろとおばあがいうので食べたら、高熱を出しちゃって。「その熱は良い熱だから下げちゃいけない」と言って、みんな、解熱剤をくれないです!(笑)「明日は絵の仕事があるから、薬をください!」って涙目で頼んだら「絵を描いたら治る!」っていうんです。次の日薬も飲まずに大阪入りして中之島デザインミュージアムで『青いサンゴと海』を描いたんです。本当に治っちゃいました(笑)。ただ、まあ、時間が経ったからかな、と思っていたんですが、開幕してから、しばらくしてミュージアムから電話があり、「お客さんが先生の青い絵の前で寝転がっているんですが、どのように対応したら良いでしょうか」と連絡があったんです。
お客さんが寝転がるってすごい状況ですよね(笑)
そうなんです(笑)。「起こした方がいいのか、そのままにしたほうがいいのか」ってミュージアムの人が言うので、「そのままにしておいてください」っていいました。というのも実はこの絵を描いたときに、絵で“美しい海のゆりかご“を表現できたらいいなと思っていました。見た人が、海の中でゆられて、たゆたうような、気持ちよくなって欲しいなと。そんなこと文章にしていないのに、ただ絵を飾ってあるだけなのに、寝た人が何人もいた。気持ちよかったと。ということは、やっぱり何か、絵が媒介になって、伝わっているんですよね。、きっと絵自体がエネルギーを発して、そのエネルギーに見る側も反応しているのかなって。絵は言葉と違ってロジックを通さないから心に直接届くのかなって思ってます。
大宮さんにとって絵はどんな存在ですか?
文章だと組み立てとかルールがあるから、ある程度「これで大丈夫」という目処が立つんです。読んでて気持ち良い、オチがあるとか文体とか。写生もリアルに対象物を描くことで似ている似ていないの評価ができますけど、私の絵は写生とも違います。だから見てくれた人が、「すごい元気になった」って言ってくれると、感慨が深いんです。自分が元気になろうとした時や気持ちよかったこと、感動したことを思いながら描いた絵だったりするから。展示すると鑑賞者から自分が描いていて抱いた感想をいただくことが多いので、いつも描いている私が驚かされています(笑)。私が自然からもらったエネルギーをそのまま目に見える形にする。それが自分にとって絵を描くことです。といってもエネルギーを色や形にするので、抽象的だったりポップになったりしますけれど、とにかく、言葉にならない何か、言葉では伝えられない何かを、伝える手段だと思っています。

すべてはアートのために

大宮さんのエピソードの数々は取材が入ったときにしか披露しないとのこと。そこには大宮さんから鑑賞者に向けて自分自身の解釈で絵を見て欲しいという気持ちがあるという。
説明を書いてしまうとみんな先入観で見るので書きたくないんです。例えばハワイ島では大変な目に遭っているので私が見てきた宇宙の愛を感じて欲しいと思うけど、説明すると意識しちゃうじゃないですか。絵は文章みたいにルールがあるわけじゃないから、「どう、これいいでしょう」とは勧め辛い。強制的に感じるのではなくその人なりの解釈で味わってほしいです。正解なんてないわけで。その人が感じたことが全て。そこが面白い。
大宮さんはどういうときに絵を描きたくなるのか教えてください。
私の場合、身体がしんどくても文章は書けるんですけど、絵は描けないです。忙しい気持ちで描いた絵ってどうなのと思うし、きっと絵に出てしまうと思うから。だから自分のコンディションが良くて「今日は良いプレイが出来るぞ」っていうときにしか描かないです。
作品のアイデアはどんなときに浮かびますか。
福武さんが「いろんな仕事をしてきたから、絵が描けるんじゃないかな」って言ってくれたことがあります。その言葉に救われました。いままでどうして、旅をするようにいろんなジャンルをまたいで、そこに執着、定住できないのかしらと思っていたので。そうかと。全てはアートに繋がっていたのかと。これまで脚本や短編で物語を構成したり、映像でアングル切ったり、舞台で空間演出したり、舞台装置を考えたり、ライティングを考えたりしてきたことは、絵やアートの勉強だったのかもしれないと気づきました。アイデアはいろんな経験から来ていますが浮かぶ時がどんな時かといえば、ずばり、締め切り間際です。。。締め切りがないと、怠け者でやりません。
アーティストを目指している方へメッセージをお願いします。
今、私は絵をいっぱい描いていきたいなと思っていますが、やりたいことがあるってことは素晴らしいことだと思うんです。どんな状況にせよ、やりたいことや目標がちゃんとあるのは羨ましいことです。私なんて、40歳まですごく強くやりたいことなんて、なかった。夢もなかったし。いまも、ぼんやりしかないです。絵は、なんだろうなぁ、絵だけは違うんですよね。普通に描きたいっていう欲求があって。それは美しい空を見たり、木々をみたり、そんなときに、ああ、きれいだなあ、描きたいなと思います。目指していことがあるというのはそれでもう、アーティストなんだと思いますよ。羨ましいです。

ARTIST PROFILE

大宮エリーさん

大阪府出身。作家、演出家、脚本家、画家、ラジオパーソナリティなど肩書きを持つ。東京大学薬学部を卒業後、大手広告代理店に勤務。2006年、大宮エリー事務所を設立し、フリーに。同年、劇場公開した映画『海でのはなし。』がヒット。週刊文春に連載していた『生きるコント』「生きるコント2」を発表以降は、「なんとか生きてますッ」「なんとか生きてますッ2」(毎日新聞出版)や、コンプレックスが解消する短編集「猫のマルモ」(小学館)や、安眠できるように書いた星の話、小さな話をまとめた「物語の生まれる場所」(廣済堂出版)また、パルコミュージアムでの個展のことばをまとめた、「思いを伝えるということ」(文藝春秋)など、たくさんの書籍を発表している。2012年から現代美術作家として活動をスタート。2016年に十和田市現代美術館似て個展、2017年春、金津創作の森美術館にて個展、そして、9月2日からスタートする道後オンセナートに参加アーティストとして名前を連ねる。
画集も、「emotional journey」(FOIL出版)、蔦屋限定発売の「this is forest speaking」がある。
現在、はじめての写真展として、個展『スピリットチャージ写真展』を東京都世田谷区池尻にあるギャラリー『CAPSULE』(2017/7/1~2017/8/6)、カフェ&ギャラリー『SUNDAY』(2017/7/1~2017/9/11)で開催中(http://sunday-cafe.jp/exhibition/index.php?itemid=35)。最新刊の写真集「見えないものが教えてくれたこと」(毎日新聞出版)も発売中。

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