現代アーティストとして国内外で活躍する鈴木康広さんは、日常の何気ない風景や身近な物からインスピレーションを受けた作品を数多く発表している。瀬戸内国際芸術祭2010の『ファスナーの船』や『六本木アートナイト2014』の『まばたきの葉』など、折々で作品を見かける度にいつかお会いしてみたいと感じていたアーティストの1人だ。まだ寒さの残る3月、鈴木さんが働いているという東京大学を訪ね、今までの歩み、作品に対する思いなど様々なお話しをお聞きした。
Photo: Shingo Mitsui Text: Shingo Mitsui / Yuki Teshiba
- 駒場東大駅前近くにある東京大学先端科学技術研究センター。鈴木さんのアトリエ兼研究室は、空気力学の実験を行う風洞実験室という建物の一角にある。部屋には制作途中の作品や工具、ノートに書籍が置かれ、作品が生まれる場所を物語っている。鈴木さんはこの研究室で日々、制作しているという。
- 研究室には朝の10時半か11時に大学に来ます。制作したり、打ち合わせをしたりして過ごして、大体いつも終電時間までいるんですよ。その合間にさまざまな発見があるので、写真におさめたり、スケッチしたりしています。
- 普段、どんなことを考えて作品づくりをされていますか?
- 脳がびっくりするような、意外性のあるイメージを具現化したいと思っています。作品そのものが新しいのではなく、観る側の感覚や記憶が新鮮になることが面白いんです。僕は自分に自信がない分、作品が身代わりになって僕を助けてくれるんです。世の風潮として、制作して発表したら言い訳できない状況があって。それはとても厳しいことですが、だからこそ、僕は制作後、ああすれば良かったというように無限に後悔しているし、その後悔があるから次がうまれると思っています。
- 幼いときから絵を描くことや工作が好きだった鈴木さん。浜松市で、当時スーパーマーケットを経営していたご実家には、梱包用の段ボールや発砲スチロール素材が山ほどあり、遊び道具を自ら工作したりして遊んでいたという。
- とにかく工作が好きで、いつも何かを作ってた記憶があります。例えば、ボールを何種類も作って、従兄弟とか兄弟とかと遊ぶ時に、投げる時にすり替えて、毎回違うタイプのボールを投げるんです。そうすると重いボールがきた後に、軽いボールが来たり、相手がびっくりするんです(笑)。
- そこからどういう風にアーティストになろうと繋がっていったんですか?
- 名前が”鈴木”で普通だし、実家はスーパーだし、家族にも芸術家なんていないし、特殊な才能が必要なアーティストになろうなんて思う気持ちはありませんでした。でも、美大に進学したのがきっかけになりました。
- どんな大学時代でしたか?
- 小学校から高校まで勉強の仕方が結局わからなかったんです。高校3年の夏の終わりに一般大を完全に諦め、美大進学に変えました。そんな状況で美術系の大学に入ったので、アートとはこういうものだ、という先入観が全くなかったのが良かったです。身近な素材をつかって工作したり、絵を描くことで過ごしてきた時間の方が、学校で教えられた知識や言葉よりも自分の身体や感覚に近かった気がします。勉強でベースとなる国語や数学が苦手だった分、他の方法で伝える能力や意欲が生きたのではないかと思います。
- アーティストとしての転機はどのタイミングで訪れるのでしょうか?
- 映像表現を中心とするプロが若手のクリエーターの作品を紹介するNHKの番組『デジタル・スタジアム(以下、デジスタ)』に作品を応募しました。夜の公園で遊具に日中の子ども達が遊ぶ姿を投影した作品『遊具の透視法』が、『デジスタ・アウォード2001』のグランプリを受賞したことをきっかけに、作品が公に認知されるようになって、作家としてのスタートを切ることができました。
- アトリエと同じ棟に、鈴木さんの作品が展示してある部屋がある。海上の船と航跡の波が地球のファスナーに見えたという着想から生まれたファスナーの船は、2004年にラジコンの模型からプロジェクトがスタート。2010年には瀬戸内国際芸術祭にて、実際に人が乗船できる『ファスナーの船』として公開された。着想から8年の歳月をかけて大きくなっていったプロジェクト、制作のきっかけをおうかがいした。
- 国内線の飛行機で羽田空港から九州へ行ったとき、離陸した飛行機の窓から東京湾が真横に見えて船がファスナーの金具のようでした。そこで友人にスケッチした『ファスナーの船』を見せながら「海を開くファスナーの船を作りたい」と話すと予想以上に面白がってくれて、それがきっかけで制作を始めたんです。
- 船がファスナーに見える、というのが素敵ですね。
- 船を見るとき、普段は船としか見ないと思います。でも、「もしかしたらこれは船じゃないかも知れない」いう気持ちでぼんやりと見ること。ふだん、実際には目にはいろいろな見え方をしているんです。船と決めているのは目ではなくて脳なんです。そこから自由になるのが”見立て”です。ぼくはそういう”見立て”を取り入れた作品を数多く発表していますが、その成果が出始めたのが『ファスナーの船』なんです。
- けん玉と重力の関係をりんごをモチーフにして作った『りんごのけん玉』という作品を鈴木さんは発表している。この作品にはどんな背景があるのかを教えてもらった。
- 中学生のとき、先生がある技が出来たら私物のけん玉をくれるというんです。技の名前は『灯台』。玉の上にけんを立てる技なんですが、ぼくはその技をクラスの中で一番はじめに達成してけん玉をもらったんです。そのことがうれしくて中学、高校、大学と机の上にトロフィーみたいに飾っていました。しかも身体で使えるトロフィー(笑)。あるとき、地球の重力というテーマからけん玉がふと思いついて、同時に科学の視点で引力の仕組みを見抜いたニュートンのりんごがつながりました。
- その2つが組み合わさった作品ということですね。
- はい。重力があるから玩具として成立するけん玉と、りんごの相性が良かったんです。りんごってすごく魅力的なモチーフで、さまざまな時代の人類の逸話の中に必ず出てくるのは不思議ですよね。
- これら作品群のインスピレーションはどのようにして生まれるんですか?
- インスピレーションというのは一瞬のようで、長い時間をかけた結果がある瞬間に顕在化したものだと思っています。たとえば自分の作品を振り返ると、『りんごのけん玉』もそうですが、すべて子供時代から準備していたとも言えます。作品になる必然性みたいなものは十分あったのかなと後から感じることばかりです。あたりまえのようにあった身近なものを特別なものに変える、視点の切り替えがポイントです。
- 鈴木さんの作品はこれまで東京大学の研究室を拠点に生まれてきたものが多い。人型の器で分解すると9つの様々な用途の器になる『器の人』、スプーンで掬った砂がこぼれ落ちる時間と向き合う『時間を測るスプーン』などは、大学内にある生産技術研究所の試作工場で制作された。代表作のひとつである『まばたきの葉』も学内で作品のヒントに巡り会ったという。
- 風体力学の研究室のオープンキャンパスで、植物の種の空中でのバランスを観察する装置があって、それを見たのがきっかけで『まばたきの葉』の制作につながりました。『まばたきの葉』は、常に空気を吹き上げている木に見立てた円筒に、開いた目と閉じた目が描かれた葉に見立てた紙を入れます。舞いあがった葉っぱが空中で回転してまばたきしているように見えるんです。「木」というかたちに初めて自分から目を向けるきっかけになりました。
- 東大の工場ではどんなかたちで制作していますか?
- 東大の試作工場の職人さんからは作品を具現化するためのヒントやアドバイスを多くいただいてきました。お互いに初めての工程や加工が多く、作り方を共に考えていくことがほとんどです。その時間がとてもスリリングです。アイデアがあっても具現化できないかもしれないからです。問題にぶつかった後に突破口を見つけたときは、最高の喜びを共有できます。試作工場のみなさんは、実験精神があって、僕の活動にも興味をもってくださっているので本当に心強いです。
- 鈴木さんはデジスタに投稿した作品をきっかけに審査員をしていたメディアアーティストの岩井俊雄氏と知り合い、東京大学先端科学技術研究センターの岩井研究室に特任助手として招かれることとなった。それ以来、研究室を移ったりしながら現在までの14年間、東京大学を拠点に制作活動を続けている。
- 4年間限定で岩井さんが助手として雇ってくださって、未熟ながら研究プロジェクトに携わることで生活もできたんです。助手という肩書きでしたが、岩井さんは自分で自分のことはすべてする方だったので、有り難いことに、ぼくは個人の制作時間をいただきました。
- 助手としてのお仕事はどうでしたか?
- 大学の事務作業、書類の申請手続きなど何も知らなかったので勉強になりました。何も知らないような人間だったので、少しずつ練習というか勉強しながら、そういう経験があってここまで来れたと思っています。あと、同時期にデザイナーの原研哉さん、深澤直人さん、三宅一生さんと出会い、世界的にも先駆的なテーマの展覧会に参加させていただいた経験は、自分にとって最高のトレーニングの場になっていたと思います。素晴らしい方々から直接学ぶことができました。
- 次々に世の中を驚かせる作品を発表する鈴木さん。アイディアをどこからインスピレーションを得ているのだろうか。
- インスピレーションというのは、それを得る瞬間そのものがその人にとって掛けがいのない重要さをもつものだと思います。ただ、それが世の中の価値と一致するかどうかはまた別の問題。それを一致させていくような意志や他者との関わり方、実行していく意欲が必要になると思うんです。その辺りがクリエーターとして生きていく上で求められる本当の技術だと思います。僕にとって作品は世界を捉え直すためのツールであり、未熟な自分を助けるためのもの。それが社会と関わっていくための目に見えない軸になっているのかもしれません。
- 鈴木さんはパラパラマンガも描かれていますよね?
- はい。大学生の時に描いていたノートやパラパラマンガを見ると、『りんごのけん玉』も作品になってから気付いたんですが、すでにアイデアは描かれているんです。
- なぜそのときに作品にしなかったんでしょうか?
- きっと形にする技術や立場がないからアイデアレベルで書き留めていたんです。タイミングが来て、その種が発芽して立体作品などに具体化していきました。大学生の時は、温存する時期で作品のアイデアをたくさん見つける時期だったんです。
- 作品づくりにおいて心がけていることはありますか?
- 常に自分にとって新鮮なアイデアを生み出せるように生きていきたいと思っています。あとは健康ですよね。20代の頃はそんなこと思ってなかったんですけど、食生活や睡眠は制作時間と同様に大事。最近は自分の身体に興味があって人体の作品もたくさん作ってきたんですけど、自分自身の身体感覚とセットでアイデアを考えていくと、作品も変わっていくのかなって思っています。
- 将来の夢や目標はありますか?
- あんまり考えてないですね。これから先も考えないんじゃないかな。長くても1週間くらい先のことしか考えていないような気がします。目の前のことに集中している感じです。
1979年生まれ。静岡県、浜松市出身。東京造形大学造形学部デザイン学科卒業。大学在学中にNHKの番組『デジタル・スタジアム』でデジスタ・アウォード2001 インタラクティブ部門 最優秀賞、デジスタアウォード2001 最優秀賞を受賞し、アーティスト活動を本格的にスタート。2005年『愛・地球博』開会式には 『まばたきの葉』のパフォーマンスが行われた。2015年『2014毎日デザイン賞』受賞、そのほか数々の賞を受賞。著書に『近所の地球』(青幻舎)など。現在は、東京大学先端科学技術研究センター中邑研究室の客員研究員や武蔵野美術大学造形学部空間演出デザイン学科准教授として勤務しながら制作活動を行っている。