KOBE ART MARCHE

Interview 10 / 山本淳夫

山本淳夫 meets KOBE ART MARCHE山本淳夫 meets KOBE ART MARCHE

神戸市内にある横尾忠則現代美術館で学芸課長を務める山本淳夫さんは、これまで学芸員としてたくさんの展覧会に関わってきた。そんな山本さんは、大学では美術史学科に籍を置きながら、本分である勉強そっちのけで所属するオーケストラ部の練習に打ち込む学生だった。そのため、美術の基礎知識がほとんどないところから学芸員の仕事をスタート。現場の叩き上げですべてを学んでいったという。
山本さんは戦後の日本を代表する前衛芸術運動『具体美術協会』(以下、具体)の作品を収蔵する芦屋市立美術博物館で学芸員としてのキャリアをスタートさせた。その後、滋賀県立近代美術館に勤め、現在働いている横尾忠則現代美術館の職に就く。
BEHIND ART vol.8 横尾さんの取材の際に、横尾さんに「神戸に面白い男がいるからぜひ会ってほしい」と言わしめるほど信頼は厚い。
山本さんに会いに、阪急神戸線王子公園駅の程近くにある横尾忠則現代美術館を訪ねた。山本さんは終始穏やかに、とてもていねいに学芸員の仕事や身近でみる横尾忠則さんについて話してくれた。

Photo: Shingo Mitsui Text: Shingo Mitsui / Yuki Teshiba

学芸員のお仕事は普段どのようなことをするのでしょうか?
展覧会をやることと、調査・研究して美術を広める・普及させる仕事など、いろいろあります。でも展覧会を一つ作ろうと思ったら日本の場合は関連するいろんなことを学芸員が全部やらなければいけないんです。出品交渉、作品輸送、展示構成、図録制作、執筆依頼などなどすべてを段取りしなければなりません。そして、展覧会を組み立てていく上でベースとなるのが調査と研究です。もちろん、学芸員にも人によって得手、不得手があり、いろんな特性を持ったタイプがいます。
いろんな特性を持ったタイプとは具体的にどういった人ですか?
学芸員には研究者気質タイプの人もいれば、プロデューサータイプ、アーティストタイプなどいろいろいます。とくにこうじゃないといけないという決まりはないので、みんなそれぞれ自分の特性を活かして学芸員をやっているんです。
横尾忠則現代美術館では、3人の学芸員が各自1本ずつ企画展示を受け持ち、年間3本の展示をローテーションで回していく。そんな中で学芸課長の役割についてお聞きした。
学芸課長と言ってもスタッフの人数が少ないので、グループリーダーみたいな感じです。うちの場合、図録、借用、展示構成などの段取りを原則的に担当学芸員が全部1人でコントロールしていきます。ぼくはそれ以外にも館全体のことやスケジュール管理など、中間管理職的な雑用がいっぱいあります。横尾先生は現役のアーティストなので、我々は頻繁にアトリエにお邪魔して打ち合わせをします。既に決まって進行していることであっても、横尾先生からアイデアが出れば、ガンガン変更していくんです。展覧会オープン直前の変更は、もう半泣きですよ(笑)。
学芸員をしていて充実感を感じるのはどんなところですか?
展示の形が出来てくるときです。準備段階では、ほんまに着地するんかなっていつも不安なんですけど、展示作業のタイミングになったら「もうしゃーない、行くしかない」っていう状態。絵が掛かって照明が決まり、空間が出来上がるときの感じっていうのは良いですね。うまくいってれば特に。面白いもので、絵って立てかけてあるのが壁に掛かるだけでも化けるんです。こうしたドラマチックな瞬間が見られるのは学芸員の役得ですね。

不真面目な学生が歩んだ学芸員への道

山本さんが学芸員になった時代は、今ほど学芸員の仕事は狭き門ではなかったという。山本さんは自称不真面目な学生で「学芸員になったのは出会い頭の事故みたいなもの」と楽しそうに笑う。もともと美術に強い関心を示す子どもでもなかったようだ。
小さいときのことを思い出すと、工作少年ではあったんですけど、絵を見てもほんまによく分からなかったですね。どちらかというと学生時代は音楽にのめり込んでいて、そのせいで大学も5年かかって卒業したんです。親からも先生からも「いいかげんに仕事せい」と言われて、軽い気持ちで学芸員になったというのが正直なところです。
どうして学芸員だったのでしょうか?
自分の気質的にサラリーマンはあかんやろうなと思っていました。何となく漠然と、勤めるなら図書館とか美術館がいいなーという甘い考えからです(笑)。採用試験の倍率も、当時は今ほどすごくはなかった。正直ここまでこの仕事を続ける自信もなかったし、しかも横尾さんとお仕事させてもらうなんて、当時の自分からしたら全く想像つかないです。

体系的に見る面白さ

美術館を訪れたのは神戸の海風が心地良い新緑の季節。ちょうど山本さんが企画した『横尾忠則展 カット&ペースト』が公開されていた。横尾さんの絵画を体系的に見ると、「何を描くか(モチーフ探求)」「いかに描くか(技法の探求)」「いかに生きるか(人生と作品の一体化)」という3つの時期に分けられるという。今回の展示では「いかに描くか」、つまり様々な技法的な実験が行われていた頃の横尾作品にスポットを当てたと話してくれた。
基本的に80年代末から90年代半ばの作品だけで構成しているんです。この頃の仕事を見ると、横尾さんならではの切り貼りの考え方が分かりやすく現れています。横尾さんが画家に転向した「画家宣言」以降の作品に対して、発表当時は賛否両論がありました。横尾さんにしても、現役ばりばりのアーティストですし、どちらかいうと最新作を見せたいという想いが強く、古い作品の展示にはあまり乗り気じゃなかったんです。でも、今こうして見ると、すごく迫力があるし、かっこいいですよね。実際に展示を見て、横尾さんご自身も色々な再発見があったようです。
3Fの妖しい展示室には、DTPが普及し出した頃にいち早くコンピュータ・グラフィックス(以下、CG)をアートに取り入れた作品が展示してある。重ねた偏光板を回転させることでモアレを起こし、光が流れたり点滅しているように見せる『テクナメーション』というローテクな技法を用いているが、全然古さを感じさせない作品だ。
妖しいでしょ。20年程前の作品ですけどね。昔、町中にたばこの煙が揺らいで見えたり、ビールやコカ・コーラが流れて見える電飾看板がありましたが、あれと同じ原理なんです。この作品を見た若い人から「液晶モニターですか」と聞かれるんですけど、ベースはただのスライド、静止画像です。新しい技法やメディアをどん欲にとりいれていく、横尾さんならではの作品です。

学芸課長就任

横尾忠則現代美術館のプロジェクトは開館までに約6年かかった。山本さんがこのプロジェクトに関わるのはちょうど開館の1年前から。きっかけは昔の職場の上司からの一言だったという。
ぼくは当時、芦屋市立美術博物館を辞め、自宅のある西宮から滋賀県立近代美術館まで片道2時間の距離を通勤していました。たくさんいい経験もさせてもらったんですが、通勤はとてもしんどかった。そんな時、兵庫県立美術館に勤めていた芦屋市立美術博物館時代のもと上司から「近いところで仕事があるで」と悪魔のささやきがあったんです(笑)。
では、昔の職場の上司がきっかけだったんですね。
そうですね。兵庫県立美術館の分館で新しく横尾忠則先生の美術館を作ろうという計画があって、ちょうど学芸員を探しているところだったんです。大御所のアーティストと仕事をせなあかんので、新人ではなく、それなりにキャリアがある人ということで白羽の矢が立ったようです。

挫折からの気づき

山本さんに挫折経験を尋ねると、アジア各国の同世代のキュレーターたちが集まる国際展覧会『アンダー・コンストラクション:アジア美術の新世代』での経験について話してくれた。またそういった失敗の積み重ねのおかげで自分のスタイルに辿りついたという。
アンダー・コンストラクションは初めて参加させてもらった国際的な展覧会だったんですが、同世代のキュレーターたちの仕事(展覧会の構成からタイトルのネーミング・センスにいたるまで)がみんな凄くて、自分のダメさを痛感しました。でもその後、具体の堀尾貞治さん(BEHIND ART vol.3参照)の個展を担当したことで、吹っ切れたんです。よく美術館って殿堂というか、権威的に見られることもあるんですが、実は一般的な場所ではできないような、ある意味違法行為スレスレのことでも許される場だったりもする。アーティストに限界まで自由に振る舞ってもらえる、美術表現のためのお膳立てをするのもぼくらの仕事なんだと気づいたんです。
芸術を作るアーティストのパートナー的役割を担っている部分があるということでしょうか?
自分の場合は「ぼくがやりました」というよりは、横尾さんなら横尾さんの展覧会を黒子になって作るタイプだと思います。一方で、黒子とは相反するかも知れないですけど、現場で「こうやったら面白くなるんちゃうかな」って気づいたら、アーティストたちと共犯になって、いっしょにやってしまうこともありました。

芸術発展の可能性がある街--神戸

世界的に評価の高い横尾さんと、職業柄、密にやりとりする必要がある山本さん。横尾さんの魅力について尋ねてみた。
一言で言うなら“バケモン”です(笑)。この美術館の準備のときに横尾作品のポスターを選別する作業を朝から晩まで一週間ぐらいぶっ続けでやったのですが、原色のビジュアルに酔って、本当に気分が悪くなるんです。ちょっと大げさですが、視覚芸術は人を殺せるかも知れない、と思いました。描いてる本人は大丈夫なのかな(笑)。ドラッグといったら安易ですけど、毒性が強くて、中毒性のある魅力ですよね。きれいごとだけじゃない、全てが現れているのが横尾作品の面白さだと思います。
ところで山本さんは神戸アートマルシェについてはご存知でしたか?
はい、神戸アートマルシェは毎年行かせてもらってます。京都でも大阪でもホテルを使ったアートフェアはあるんですけど、神戸は神戸で独特ですよね。どうしても大阪とか京都の方がギャラリーも美術大学も多く、神戸はまだ芸術文化の地盤が出来上がっていない感じはあります。ただ、システム化されていないからこそ榎忠さんや堀尾さんみたいな、野性味のあるアーティストが輩出されるという側面もあって、そんな中で神戸アートマルシェがどういう風に展開していくかということに興味があります。
最後に若手学芸員にメッセージをお願いします。
あまり偉そうなこと言えないんですけど、なるべく時間があるうちに芸術作品を見るということですよね。やっぱり中間管理職になってくると身動きがとりにくくなってきますから。あとはどんな仕事でも、3年は続けた方がいいと思います。ぼくは3カ所の美術館を転々としましたが、環境がガラッと変わるたびに凄く戸惑いました。でも3年くらい我慢して続けていると仕事に慣れてきますし、味方も生まれます。ちゃんとやっていれば必ず見てくれている人はいるので、がんばって続けることやと思います。

ARTIST PROFILE

山本淳夫さん

京都市生まれ。横尾忠則現代美術館・学芸課長。大学卒業後、芦屋市立美術博物館で学芸員のキャリアをスタートさせる。具体美術協会に所属する有名アーティストがブレークするきっかけとなる個展を担当するなど、大小さまざまな展覧会を手掛ける。その後、滋賀県立近代美術館を経て、兵庫県ゆかりのアーティスト・横尾忠則氏の横尾忠則現代美術館の学芸課長に就任。現在、横尾氏の企画展示の全体を取りまとめ、館内のイベントなどでは司会進行も務めている。

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