KOBE ART MARCHE

Interview 04 / Chu Enoki

榎忠 / 1回1回が体当たり-- それがぼくの芸術榎忠 / 1回1回が体当たり-- それがぼくの芸術

「半刈り」などの奇抜なパフォーマンスや鉄の廃材を用いた超スケールの立体作品で知られる現代美術家の榎忠さん。香川県に生まれた榎さんは中学卒業後、神戸市にある工業ゴム工場に就職。金属成形技術職人として勤めながら美術活動を行ってきた。1965年には美術団体『二紀会』に所属し、絵画を発表していたが脱会。1977年、全身の体毛を半身分剃り落として『ハンガリー国へハンガリ(半刈り)で行く』というパフォーマンスアートを行い話題となる。その後、現在に至るまで旋盤工で培った技術を活かした鉄の廃材や、機械部品などを用いた立体作品を多数発表し、今なお注目を集め続けている。神戸の垂水駅から車で約20分。解体業社の工場や牛小屋が立ち並ぶ中にあるアトリエを訪ね、今までの道のりについて語ってもらった。

Photo: Shingo Mitsui Text: Shingo Mitsui / Yuki Teshiba

半刈りとの出会い

代表作である半刈りのアイデアはどこから着想したのか教えてください。
ぼくは最初絵描きになりたいと思ってたんだけど、どんどん現代美術にひかれていったんです。体を使った表現を模索していて、そんな時、ぼくの尊敬する現代美術家・篠原有司男がモヒカン刈りをしていたのと、ハンガリー国へ客員教授として招かれた友人がいて、ひらめきました。実際に半刈りの状態でハンガリーへ入国するのは大変でしたが、その友人の招待状のおかげでなんとか入国でき無事成功。当時勤めていた会社からは金一封をいただき、帰国後も半刈りのまま働いていました。
榎さんのアトリエにはその半刈りのパフォーマンスの写真や若いころに描かれた絵画や、大砲をモチーフにした金属作品などが置かれている。人里離れた場所にアトリエを構えた理由を聞いた。
阪神・淡路大震災のあと、この場所が空いて安く借りられると聞いて、知り合いと何人かで借りたのがきっかけです。金属の作品は、溶接や旋盤などの機械の騒音で 近所迷惑になるんですが、ここなら山の中でその心配がないんです。あとアトリエ自体広いので大砲などの大きな作品も置いておけます。

平和を造る武器

榎さんはなぜ武器をモチーフにするんですか?
世の中、事件がいっぱいあるでしょう。友情だの愛だの言ってその時は盛り上がっても裏切られたら簡単に殺してしまう、人間ってそんな怖い部分がある。武器を通してそういう怖い部分が自分にもどれだけあるのかというのを見ていきたい。大砲も銃も殺傷する武器にもなるけれど、人を幸せにする使い方もできるんです。例えば大砲の弾の代わりに、飴玉やお菓子を入れたり、祝砲として使ったり。万事、受け取り方、使い方次第で平和な世界に変わるんです。
昨年、東京で初めて行われたご自身の個展『LSDF-014』では、大砲をモチーフにした「LSDF(Life Self Defense Force)=自分の生活は自分で守る」という作品を展示した。日本に対しての怒りに突き動かされての展示だったという。
日本の体質かもしれないですが、日本政府って隠すでしょう。2011年3月11日の東日本大震災以降、未だに処理できない原発のことも政府は報道規制する。あんなの地球を壊すだけでしょう?2014年には「武器輸出三原則」の見直しによって外国では日本企業が武器を売っている。それもほとんど報道されない。そんなごまかしの世界で、自分の気持ちまでごまかすなと訴えたい気持ちです。
ギャラリーやアートフェアであまり展示をしないという榎さん。その理由をお聞きした。
こうやってぼくみたいな芸術家はありのままを本音で話すので政治家やギャラリー、アートフェアといった権力あるところから嫌われるんです(笑)。それと出展するとなると納品の期限もあるし、どうしても縛りが出てくる。それが自分のスタイルに合わないんです。もちろんアートフェアの出品作品の多くは技術的に見たらすごいところがたくさんあります。ぼくの場合、技術で挑んでも太刀打ちできないから、独自の表現方法を日々探しているんです。

嫁はんの支え

春になると新緑できれいになるというアトリエ周辺を散歩しながら、現在の制作との向き合い方についてお伺いした。
定年後、自分が仕事で培ってきた技術を使って制作したいと思ったのが金属の廃材作品です。材料は高くて新品は買えないので、飲み屋で知り合った作業員を通じて廃材をキロなんぼという感じで買ってきます。でも普段はそんなに制作してないんです。山やお寺、こうやって散歩などをして美術と関係ないことをよくしています。
会社で働きながら美術活動をしていたとお聞きしました。どのように制作されていたんですか?
金属成形技術職人として働いていた頃は17時か18時で仕事が終わって、その後の4~5時間と休日を使えば十分制作できました。当時は好きな美術をやるために生活や制作費は働いて稼ごうと考えていたんです。ありがたいことに生活費は嫁はんが稼いだお金でやりくりしてくれていました。そのおかげでぼくは働いたお金を全て制作費に充てていたから誰に気兼ねすることなく自由に制作することが出来たんです。今は退職して自由な時間がたくさんあるんですが、そうなると逆に根を詰めて制作しなくなりますね。

アホにならな

美術家として心がけていることはありますか?
ぼくはよく「アホにならな」って言うんです。ハンガリーに行った時も見える部分だけじゃなくて、ワキも下も全部半分にしているんです。アホでしょう?(笑)町で集団首吊りというパフォーマンスをした時は、失敗して本当に首が締まったやつがいたり、最初に大砲をぶっ放したときは銃刀法違反の疑いで事情を聴取されたり。
榎さんはバーの女店主「ローズチュウ」に扮して1979年と2006年に2度ほど「BAR ROSE CHU」というニセの飲み屋を開店したこともありますよね?
みんなを楽しませたいと思って無料でお酒を振る舞うバーを開きました。またやって欲しいと言われているんだけど、今度はぼくが80歳になったらやろうかなと思っています。それまではやりません。今ローズはどこへ行ったか分からないんです(笑)。

自分を見失うことなかれ

榎さんが制作していない期間は週3で通うという元町駅近くにある隠れ家的バー『アビョーン PLUS ONE』に案内してくれた。バーのママは海外で展示があるときでも必ず駆けつけるというほど榎さんの作品に見せられたひとり。店のあちこちに榎さんの展示ポスターが貼ってある。年季の入ったスピーカーから流れる有機質なブライアン・イーノの音楽をBGMに、榎さんはこんなことを語ってくれた。
制作は1回1回が体当たり。だから毎回怖いんです。そんな緊張感の中でぼくは制作したいと思っています。何を表現するかは芸術に携わっている以上、常に課題です。長い間やっていても、アートが何かなんて分からない。でもだからこそぼくはいつも「自分が表現して人に見せるものは何か?」という自問自答を続けています。
未来の現代美術家に一言。
芸術って食べていくためではなく作家とはどうあるべきかを考えるべきで、嫌われようが自分のやりたいことを正直に作品にしてこそ芸術だと思うんです。何かの規制やルールに収まるのではなく、若い人たちにも本来自分が表現したいものを見失わず、美術界の中で新しいことをいろいろやっていって欲しいですね。

ARTIST PROFILE

榎 忠

現代美術家。1944年生まれ、香川県善通寺市出身。旋盤工として勤めながら、1965年から二紀会で 作品を発表を続ける。その後『ハンガリー国へハンガリ(半刈り)で行く』などパフォーマンスアートを展開。現在は旋盤で加工した金属廃材を使った立体作品を主に制作している。2008年に第32回井植文化賞、2009年には神戸市文化賞を受賞。村上隆やヤノベケンジなど最前線で活躍する日本の現代美術家たちへ影響を与え続けている。

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