KOBE ART MARCHE

Interview 02 / Tsutomu Ikeuchi

池内務/着地のない、あらゆる視覚表現を受け入れるフィールドで池内務/着地のない、あらゆる視覚表現を受け入れるフィールドで

日本橋、馬喰町にある現代美術ギャラリー『レントゲンヴェルケ』。村上隆、会田誠、椹木野衣など日本の現代美術界の中核を担うアーティストやキュレーターを輩出したことで知られる『レントゲン藝術研究所』の流れを汲むギャラリーだ。代表の池内務さんは、ギャラリーを経営する傍ら、40歳以下のディレクターが個人単位で出展するユニークなアートフェア『ULTRA(ウルトラ)』のフェアマネージャーを務めたり、美大で教鞭をとるなど多面的な顔を持つ。アートシーンだけでなく文化全体を揺るがし続ける池内さんのレントゲンヴェルケを訪ね、ご自身の考え方、美術に向き合う姿勢などをお伺いした。

Photo: Shingo Mitsui Text: Shingo Mitsui / Yuki Teshiba

2足の草鞋 − ギャラリストとキュレーター

池内さんの主な仕事内容について教えていただいてもいいですか?
基本的には美術品を売るのが仕事ですね。作家を探す、作品を作ってもらう、それを展覧会などで発表して、うちでも販売する。単純にはこういう仕事なんですけど、それを広げていくために様々な広がりの仕事をしています。
池内さんは、ギャラリストとキュレーター。両方の肩書で活動されていますが、まずギャラリストってどういうものだと思いますか?
ギャラリストというのは新しい言葉。80年代の終わりから90年代のはじめにニューヨークの連中が言い出したんです。以来、その呼び方が広がってきて現代美術の中で新しい作家や表現を広く世に伝えていきたいと思う画商さんたちの間で使うようになった言葉ですね。古くはアートディーラーとか画商とかいう言い方をしていました。単純に美術品を売買していくというのではなくて“gallery”に“-ist”が付くわけですよ。言ってみれば自分でギャラリーを持って、美術表現を世に伝えていくスタンスで仕事をしていく主義者なんです。
キュレーターの方は?
キュレーターというのは展覧会の作家選択から作品の展示・販売、展覧会レベルですべての責任をとる統括責任者のこと。それを総称してキュレーターと言います。ギャラリストの仕事をしながら、ぼくはいくつか展覧会の企画をしたりしています。自分の取り扱いの作家だけではなくて他のギャラリーやインディペンデントでやっている連中だとかをフューチャーして展示会を組む作業をしていて、その時にはキュレーターとして活動していますね。

アートとX線の関係性

レントゲン藝術研究所、レントゲンクンストラウム、レントゲンヴェルケ。池内さんのギャラリーには"レントゲン"がイディオムのように付いてきた。1895年にX線を発見したヴィルヘルム・レントゲンの名前からとっているという。
レントゲンで使われるX線って自然界にない光なんですよ。人間の皮膚を通過して撮影する能力、波長をもったあくまで人工的な光線。そして、アートという言葉も人工物という“artificial”っていう単語の頭文字3つから来ています。レントゲンとアートは、人工物が人の体を突き抜けて内側を刺激するという意味で、同じ効果を持っていると思ったんです。あと、ギャラリーの名前としてもインパクトの強い言葉だなって思って、レントゲンをつけているんです。
レントゲンヴェルケは、池内さんが手がけた5軒目のギャラリー。最初は大森のレントゲン藝術研究所で5年間、その後、レントゲンクンストラウムという名前で青山で5年間。あわせて10年間は池内さんの父親が経営する『池内美術』の一部門だった。そこから独立して吉祥寺に8か月間、そのあと六本木ヒルズオープンのときに声を掛けられ芋洗坂にギャラリーをオープンさせた。ただそこでビルの立ち退きに会い、現在の場所に移ったという。
SNSにうちのギャラリーのコミュニティがあったんで、探している物件の条件を書いたんです。都内で駅から何分ぐらいとか、何区が良いとか…。そうしたらある日、連絡がきたんです。はじめは以前住んでいたアーティストが建物を住み倒していて、ボロボロだったんですよ。お金を湯水のように使えたわけではないので、外壁の塗装を大工さんにお願いした以外は内装もぜんぶ自分たちでやりました。自分は学生のときに演劇をやっていたんですが、その頃、ぜんぶ自分たちで現場を作業していたんです。今も自分の手で作っていくことは大事にしているんです。
“hyper technik(超絶技巧)、solid shock(個体衝撃)、clever beauty(怜悧美学)”というのがレントゲンヴェルケの3本柱のコンセプトだ。池内さんはギャラリー正面に記された文字の羅列を指さしながらコンセプトの秘話を話してくれた。
最初は今の言葉と違ったんです。最後の言葉が“clever beauty(クレバービューティー)”じゃなくて“cool beauty(クールビューティー)”だったんです。ところがイギリスでやった小さな展覧会で、美術系の財団のカナダのお客さんが、あなたのコレクションは「クレバービューティーだね」って言ってくれて、その言葉をそのままいただいたんです。クレバーって「賢い」っていうより「さとい」っていうような少しずるい感じがする言葉なんですね。だから“technik”っていう文字もわざとドイツ語使ってるんです。言葉にもひねくれたいじりが入ってるんで、作品だけでなくうちのコンセプトでも楽しんでいただけたらと思ってます。

アンチテーゼより原点的な自由を

現代美術とはなんだと思いますか?
現代美術って"着地ができないあらゆる視覚表現を受け入れられるフィールド"だとぼくは思ってます。視覚的物質と言説、コンテキストを一体化したものを称して"コンテンポラリーアート"と呼んでいるわけですが、現代美術が持つ、悪くいえばなんでもありといった部分をなんとかしていきたい。社会や構造、政府に対するアンチとしての自由ではなく、もっと原点的な意味での束縛のない状況があると思うんです。その自由を落とし込んでいける場所っていうのに強く魅力を感じますね。
自由といえば、池内さんはワンナイトエキシビションやギャラリーでのDJイベントな斬新な切り口の企画をいろいろしていますよね?
ぼくはミュージカルの舞台に立っていたので、演劇や別ジャンルの表現を美術の世界で何かしらフィードバックさせる方法とっていうのはギャラリーオープン当初から考えていました。当時はディスコが衰退してクラブカルチャーが台頭してきた時代。夜の場所も文化的なものを要求するようになってくるんです。かつてはディスクジョッキーと呼ばれたものがヒップホップの連中はターンテーブリストっていい方をするんですが“-ist”が付くんですね。当時さまざまな表現に、変化が出てきた駆け出しのころだったんです。その時代に上手くシンクロした気がします。

作品を見せるという仕事

かつて舞台に立っていた池内さんだが、現在もその経験が活きているという。照明などギャラリーでの展示作業はアーティストでなく池内さんが自ら作業するそうだ。
作品以外のところでは、展示方法、照明も含めてですが、すべてぼくが作業しています。見せ方にコンセプトを持たせるのは、ギャラリストの仕事であって、アーティストとギャラリストの仕事の区分っていうのはそこにあるのかなって考えています。なので、見せ方にはこだわります。例えば最近現代美術を扱うギャラリーでは蛍光灯でフラットに照らすだけの見せ方も多いんですが、うちではより劇的に見せることを意識して電球色を使っています。
事務所の傍らに置かれた工具、道具の一式。展示場の作業にもと使用する道具にもギャラリストらしくこだわりがあるという。
工具好きで工具のコレクションは20~30年近くになります。大学のときに買ったものもまだ持ってたりしますからね。磁気テープの編集用のはさみですが、これなんかはぼくが舞台で音響やってたときから使っているものなんですよ。気に入った道具はとことん使います。今使っているトラックボールはもう4台目。Macは未だにG4やOS9も使ったりしています。でも、道具ってヤキモチ焼くので古いものでも使いつづけなけきゃダメなんです。

無心の先にある答え

池内さんが2年前から習慣的にやっていることが体づくり。インタビューの日の朝も泳いできたという。
ぼくルーティンという生活が全然出来ない人間なので、毎日ほぼバラバラ。でも、トレーニングは習慣的にやっています。ウェイト、水泳、ランニング……。
トレーニングをすることで分かったことってありますか?
体を作る作業というのはビジネスと正反対なんです。トレーニングは地道に努力してれば必ず結果が出るんです。ビジネスは予算組んで広告もバーンってやっても結果が出ないこともあるし、その逆もある。あとは、無心になってトレーニングをして、それが終わったところでストンと出てくるアイデアがあるんですよ。ある種、そこに期待しながらトレーニングしているところもありますね。期待するとまたダメだったりもするんですけど(笑)。
インタビューの途中、池内さんにお気に入りだという柳橋まで案内してもらった。かつてこの辺に住んでいたことがあり、その時は必ず遠回りしても柳橋を渡って家路に着いたそうだ。
「柳橋のキレイどころ」なんて古い言葉があるでしょ? この辺は歓楽街だったみたいですよ。その名残りで船宿が密集しています。ぼくは柳橋の原型になったドイツにある橋が好きだったんです。東京にもそのドイツの橋をモデルにした橋があるとは聞いていましたが、こんな近くにあるとは思いませんでした。池袋から神田川が繋がってきて、ここで隅田川とぶち当たる。川がぶち当たる橋って風情があって気に入ってます。

展示作品とアーティスト

お邪魔したときはちょうど水野シゲユキさんの展示『崩』がクロージングしたばかりだった。空中に廃墟が浮かんでいるようにシューティングをしたという作品についてうかがった。
水野シゲユキは、いってみればジオラマのモデラーの世界ではカリスマ。彼はインスタレーションや彫刻作品が、あまり受け入れられなかったんです。でも彼は純粋に廃墟というものをモデル化する、モデラーとしてではなくただ単純にひとつの表現者として作っていきたい、見せていきたいって言ったんですよ。でもこれを引き受けるのはモデルの世界ではないわけです。その引き受けどころの一番分かりやすいかたちが現代美術だった、とぼくは思ってたんじゃないでしょうか。
村上隆さんをはじめ、みんな行き場所がなくなったアーティストがみんなうちに来ていたと語る池内さん。ギャラリー入り口にある長谷川ちか子さんのインスタレーション作品もそのひとつだ。
最近の作家は体力がないってよく言うんですが、彼女なんかはめげずに5回来ましたからね。帰しても帰しても作品を見てほしいって。その5回目も結局ダメだったんだけど、「毒」っていうコンセプトが生まれたんです。それで彼女の場合は一緒に話し合っていくうちに“GIFT-series”が生まれたんです。ほんと彼女は勉強家ですよ。現在、彼女は“GIFT-series”を経てまた新たに再出発を図ろうとしています。今から楽しみですね。

若者よ、体力をつけよ

若手アーティストへメッセージをください。
体力をつけなさい、ですかね。今世紀入ってから、美術品を買うことができると一般の人が気付いて作品が売れるようになったんです。アーティストもちょっと作れば売れる可能性があると楽をはじめたから、今の日本の美術っていうのは体力がないんです。海外に持っていったときに力がないってすぐ分かりますよ。思考的な部分というのはテクニカルに組み立てていけばいいと思うんです。問題はそれを骨としてどうやって肉を付けるか、さらに表現というところに持っていったときに、どれだけ熱量を出力できるか。それこそが追求されるべきことなんだと思います。
KAMにも出展する池内さんに日本のアートフェアについても聞いてみた。
ぼく自身もオーガナイズしていますが、みなさん、よくやってるよなって思います。KAMのようなホテルフェアになってくると、出展画廊の数が減ったりだとか、期間とか開催時期っていうのがすごく影響あるわけじゃないですか? 経済的理由やネガティブな要因がありながらも、神戸、大阪、名古屋……。がんばってるなって思います。アートフェアって美術関係者やアーティスト、お客さんが直接会って話す場所だから物語が生まれるんです。これからも大事にしていきたい場所ですね。

ARTIST PROFILE

池内務

株式会社レントゲンヴェルケ代表取締役。キュレーター・ギャラリスト。1964年、東京都生まれ。90年代、レントゲン藝術研究所のディレクターとして、村上隆、会田誠、椹木野衣など数々の作家たちを輩出。現在もアートフェア「ULTRA」のシェアマネージャーなど美術に関わるビジネスを展開している。日々、体を鍛えつつ、若手アーティストの育成にも力を注いでいる。

THE ART FAIR +PLUS-ULTRA / Gallery Page

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