KOBE ART MARCHE

Interview 06 / Arina Tsukada

塚田有那/クロスオーバーする編集者塚田有那/究極の丹波焼表現を求めて

フリーランスの編集・ライターの塚田有那さん。アートやデザイン関係の編集や執筆をしつつ、大小さまざまなイベントの企画、運営、司会進行役などを務める。2009年からは、サイエンスとアートを繋ぐ『SYNAPSE Project(シナプス・プロジェクト)』を科学者たちと一緒に立ち上げ、フリーペーパーを発行したり、トークイベントを開くなど、アートの立ち位置から多ジャンルをクロスオーバーしながら活動している。
都内の閑静な住宅地にある塚田さんの自宅兼オフィスにお邪魔して、今までとこれからに対する思いをお聞きした。

Photo: Shingo Mitsui Text: Shingo Mitsui / Yuki Teshiba

塚田さんの仕事内容について教えてください。
全体の仕事の約半分が編集・ライター業です。企業の広報誌を編集したり、色々な媒体に寄稿したり、最近では『インタラクションデザイン』という書籍の編集に関わりました。

メディアとは何か

フリーランスになって5年目の塚田さん。編集・ライター以外にも多方面から仕事依頼が来るのは、学生時代のアルバイト先での編集長の言葉やこれまでの経験があったからだと語る。
マガジンハウスの『BRUTUS』編集部でアルバイトをしていました。在学時代にライターのアシスタントの仕事をもらえるようになって、そのまま編集部に滑り込めないかと企んでいたのですが、編集長から「お前がやりたい仕事は10年後にはないと思って、広い視野でメディアを見た方がいい」と言われたんです。当時は電子書籍がちょうど世の中に出始めた頃で、リーマンショックで広告収入が一気になくなり、紙かWEBか、もしくは次のメディアかといった論争が動いたタイミングでもありました。編集長にそう言われたことで、あらためて「メディアとは何か」を考えるようになったんです。WEBサイトや雑誌で何かを作る、これも確かにメディアですが、イベントやギャラリー、お店を作ることもメディアだと思うんです。違うメディアの方が需要がある場合もあるなと思うようになって、世界が広がりました。
そのあとはどのようなお仕事をされたんですか?
ビジュアルカルチャーマガジン『+81(プラス・エイティワン)』を発行しているDD WAVE(ディーディーウェーブ)という会社で働きました。そこでは海外のクリエイターを呼ぶカンファレンスやギャラリーを1から作ったり、いろいろ経験させてもらえました。私が入った年に多角的な取り組みがスタートして、新人にもかかわらずいろいろ任され鍛えられたのがありがたかったです。

アートとの出会い

アートに興味を持ったのはいつ頃ですか?
父親が多摩美出身で映画のプロデューサーをやっていました。そのせいか、アートの概念を覚える前に、当然のように映画を見るし、音楽を聞く。そんな環境で育ちました。中学生のとき、映画監督のヴィム・ヴェンダースとロック・シンガーのジャニス・ジョップリンとレッド・ツェッペリンに傾倒していて。今考えると「やだよそんな中学生」って思うんですが(笑)。もちろん、マンガも読むしカラオケも行くし、学校生活も楽しめていたのが救いです。
特に影響を受けたアーティストや作品はありますか?
大学生のときに出会ったダイアン・アーバスというアメリカの女性写真家の写真集は自分にとってアートの原点のひとつです。当時の自分にとってアーバスの写真は、とにかく気味が悪くて本当に嫌いだったんです。ただ、なんでそう感じるかを自分がうまく表現することができなくてモヤモヤして何度も写真を見返しました。ある時、アーバスが何を表現したいのかなんて分からない、分からなくていいと思ったんです。むしろ、その謎がアートの美しさなのかなって。

ART x SCIENCE = SYNAPSE

塚田さんは5年前、アートとサイエンスを繋ぐ活動『SYNAPSE Project(シナプス・プロジェクト)』を、科学者たちと立ち上げ、冊子を発行したり、トークショーなどのイベントを定期的に開催している。清澄白河のカフェ&ギャラリー『GARAGE』にて、物理学者、映像作家、建築家、アニメーション作家、人工知能研究者、“サイエンス”会社員を交えて『超ひも理論可視化プロジェクト公開会議』が行われた。彼女にとってSYNAPSE Projectの活動はひとつの転機になったという。
BRUTUSアルバイト時代の先輩に菅野康太さんという研究者がいて、当時から彼が取り組んでいたサイエンスコミュニケーションの活動に感銘を受けたんです。科学者の言葉や態度が、アートを見て言葉足らずに語ろうとしていた自分に新たな言語を送り込まれた気がして。一方、サイエンスの分野では、科学のことを世の中に伝えようとしたとき、サイエンスカフェをやってもサイエンスファンしか来ない。本当は研究を進める上では様々な領域の人と話す必要があるのに、なぜこんな風に“タコツボ化”していくのかというフラストレーションが知り合った若手科学者たちの中にありました。
活動をしていく中で、どのような変化がありましたか?
はじめは科学のことなんて何もわかりませんでした。でも、5年も続けていると、だんだんと“サイエンスの人”ということになってきました(笑)。違う領域の人同士をつなげる“ブリッジ役”になるというのが自分の中での活動の指針になってきました。違う領域の人同士を繋げると新しい化学反応が起きるし、とてもオープンで創造的な環境を作れると思います。新しい分野の仕事のオファーがきたり、最近クロスオーバーしてきたなと感じています。

日本のアートシーンの未来を見据えて

編集業以外に大小さまざまなイベントに携わったり、多忙な日々を送っている塚田さん。組織に属することなく、フリーランスで仕事をしている中で、オンとオフの区別はどのようにつけているのだろうか。
仕事が立て込んだり忙しい日々が続くと、休日にスノボに行ったりしてうまく切り替えています。雪山から帰ってきて翌日にまた朝からイベント設営したりする日もありますが(笑)。あとは、料理が趣味なので、友人を家に招いて、みんなにご飯を振る舞ったり、おいしいお酒を飲んだりして過ごしています。
今まで壁にぶつかったような経験はありますか?
--去年まであるプロデューサーからお仕事の相談を受けて、大きなアートプロジェクトに関わる予定だったのですが、色々あって途中からプロジェクトを抜けたんです。そこに大きな夢を描いて動いていたので、しばらくは心がからっぽになりました。思い返してみると、大きい仕事を目の前にして、ほかの小さい仕事や目標までもが曖昧になっていた時期でした。そのプロジェクトが頓挫したとき、改めて自分がやるべきことって何なんだろうと考えました。そんなときにコンテンツを作るのか編集をやりたいのか、いろいろある中で自分が1つ軸を作るとしたら“場”を作る人だなと思ったんです。科学でもアートでもどっちでもない自分を肯定できるようになったし、そんな立ち位置を見せていければと思います。
これからの目標を教えてください。
まじめな話をすると、次の目標は教育です。今までが“きっかけを生む場”をつくる仕事だとしたら、その次は“創造性を生む場”をつくること、持続的に思考を育む仕事に携わりたい。この日本でアートやサイエンスが持つ社会的な役割や機能を知ってもらうには、教育の視点から変えていかなければいけないと思うんです。そこでは単に学校教育に関わるという以上に、もっと視野を広げて考えてみたい。そのためにも、海外の取り組みなどにも目を向けて、もっとたくさんのことを知りたいと思っています。

ARTIST PROFILE

塚田有那

編集・ライター。東京都世田谷区出身。学生時代にマガジンハウスBRUTUS編集部でアルバイト後、D.D.WAVE株式会社に勤務。現在はフリーランスで編集・ライター業をしながら、各種イベントのコーディネートなどをおこなう。2009年、サイエンスとアートを繋ぐSYNAPSE Projectを科学者たちと共に立ち上げる。そのほか、現在は博報堂とアルスエレクトロニカの共同プロジェクトFuture Catalystsに携わるなど、幅広くメディアを活用しながら、独自の視点で社会に向けて新しい提案を発信し続けている。

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