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Interview 05 / GOMA

GOMA / フラッシュバック・ペインティングGOMA / フラッシュバック・ペインティング

オーストラリア先住民族アボリジニに伝わる世界最古の管楽器ともいわれる「ディジュリドゥ」。独特の倍音が特徴のその楽器は、オーストラリアから遠く離れたここ日本にも多くのファンが存在する。今回取材させていただいたGOMAさんは、日本におけるディジュリドゥ奏者の第一人者として知られ、フジロックや朝霧JAMなどのビッグフェスに出演経験を持つほか、様々なアーティストとコラボレーションし多くの楽曲を世に発表してきた。そんなGOMAさんは2009年、不運にも首都高速道路で後方から車に追突されるという交通事故に遭遇。その衝撃で高次脳機能障害を発症し、記憶障害をはじめ、味覚や嗅覚、筋肉の麻痺など多くの後遺症に悩まされるようになる。その一方で今まで一度も描いたことがなかった緻密な点描画を突然描き始め、各地で個展を開くようになった。事故から現在に至るまでの心境や絵を描くようになった経緯など、様々な思いを語ってもらった。

Photo: Shingo Mitsui Text: Shingo Mitsui / Yuki Teshiba

自分を画家だと思っていた

絵を描き始めたきっかけを教えてください。
どのように描き始めたかはよく憶えていないのですが、娘の絵の具で突然、衝動的に絵を描き始めたみたいです。脳損傷を負うと、絵を描くようになったり、外国語が堪能になったなど以前やっていなかったことを急に始めることがあるそうです。僕も絵画の経験はほとんどなかったのですが、なぜか自分の職業を画家だと思っていたようです。
かつて、ディジュリドゥに魅せられオーストラリアに渡ったGOMAさん。アボリジニの聖地アーネムランドで開催されるディジュリドゥコンペティション「バルンガ」にエントリーし、ノンアボリジニとして初めて準優勝した経験を持つ。その頃の記憶なのかGOMAさんの描く点描画は、どこかアボリジニアートの匂いが感じられる。
オーストラリアはトータルで2年ぐらい住んでいました。その影響もあって、僕が描く絵はアボリジニアートのように点々なのかもしれない。でも、アボリジニの人から見たら違うみたいなんですよ。彼らの描く絵は、グラデーションがほとんどないそうです。

フラッシュバックで描く絵

脳損傷の治療向けに、絵を描くというリハビリプログラムを採用している病院も現在は多いという。絵を描くという行為はGOMAさんにとってどういう意味があるのだろうか。
事故後、日々を過ごしていく中でリアルな映像が光と一緒に突然フラッシュバックになって蘇ってくるようになりました。おそらく記憶の断片だと思うのですが、それを絵にしていかないと脳が混乱してぐちゃぐちゃになる。整理をするような感覚です。
今まで描けなかった絵が急に描けるようになるってどういう感じでしょうか?
フラッシュバックが起きている時しか絵は描けないので毎回こんなのが描けたのかって感じです。

あきらめの先に見た道

GOMAさんが事故以来、書き続けているという日記を見せてもらうと、ご自身の体調に対する戸惑いとともに、どの日付の日記にも必ず前向きな言葉が綴られていた。2009年の事故から5年経った現在の体調を聞いてみた。
事故当初は左半身が麻痺していたのですが、随分よくなりました。喋る時ひっかかっていた言葉も少しずつスムーズに出るようになってきました。しかしまだ思うように足が動かなくて、つまづいてしまうことも時々あります。そんな時は「あ、今脳がいっぱいいっぱいになっているな」と自分の体の状態に気づけるようになったので、そういう時は脳の混線を防ぐようなライフスタイルに切り替えるとスムーズになります。
記憶障害というのは、例えば今日のことも忘れてしまうのですか?
そういうこともあります。今日会った人も、次に会った時に憶えているか正直自信がない。なるべくそうならないように、写真を撮ったり、日記を書いたりして毎日見るようにしています。「あれ? それ何だっけな」と思えればまだいいんですけど、出来事やその日自体がごっそり消えてしまうことがあります。そうなると周りの人に言われない限り自分では気づけないんですよね。あ、今日も帰りに写真撮らせてください。
はい、もちろん。気持ちの面はどうでしょうか?
はじめの3年間ぐらいはかなりきつかった。例えば絵を続けて描いている合間に音楽のライブをやったとする。で、家に帰ってきて絵を見ると、"これ何だっけ?"みたいになる。そういう事実を自分が受け入れるのに時間が掛かりました。少しずつ自分の中であきらめの気持ちが出てきて、その"あきらめ"から新しいことが始まってきた気がします。あと、言葉には言霊が宿ると思うのでポジティブな言葉を使うようにしています。やっぱりネガティブな人にはネガティブな人が集まると思うし。
GOMAさんの事故の経験をドキュメンタリーにした映画『フラッシュバックメモリーズ』もその頃でしたよね?
映画もちょうど3年くらいの時でした。事故当初は外に出て、道がわからなくて迷子になるのも、人と会って話すのも怖かった。でも、映画のおかげで舞台挨拶や取材など外に出て無理矢理にでも人と接する機会を沢山もらったことでかなり自分が活性化されました。それが今に繋がってきていると思っています。

音楽家としての再生

事故以前、長期間触れていたディジュリドゥを見ても何の反応も示さなかったというGOMAさん。音楽を再び始めたきっかけは娘さんだったそうだ。
娘が毎日のように「パパの仕事は絵を描くことじゃないよ」って言うんです。娘の絵の具で絵を描いていたら「それはまーちゃん(娘さんの愛称)の絵の具。パパの仕事はこれ(ディジュリドゥを指して)だよ」って言ってくれていたらしいんです。
スムーズに演奏できましたか?
回数重ねて体に染み込んでいることだったのでできました。鉛筆とかも無意識にどう持つかなんて考えないじゃないですか。そのレベルまで事故前に自分の中に落とし込めていたから、体の記憶はきちんと残っていました。今も体調が良ければ1日に2~3時間は練習します。音楽は、事故前から自分がやっていたものだから、事故前と同等ではなく、それ以上にできるようになりたいと思っています。
これから音楽ではどんな活動をされる予定ですか?
事故前は音楽ソフトを使って作曲していたのですが、事故後それを見ても全く理解できず放置していました。しかし去年くらいからリハビリを兼ねて触れていた時に事故前日に作業していた音楽ファイルが見つかったんです。事故をして、絵が描けるようになった、映画が出来た、今日もこのインタビューを受けることができた。だから、もう事故前に戻りたいとは思わない。でも、「もしあの時、あの道を通らなかったらどんな未来だったのかな?」と時々考えます。見つかった音楽ファイルの中にあった曲はどうやって作ったのか全く思い出せないままですが、それらを通して、事故前の自分と繋がれるような気がして今後ライブで使っていけるようになりたいと思っています。
あいにくの雨が降る中、GOMAさんの自宅のすぐそばに流れている多摩川の河川敷に案内してもらった。川沿いの1本道で迷うことがないため、リハビリがてらよく走っているそうだ。

みんなをハッピーにしたい

何点くらい作品を描かれたんですか?
今まで大体400点くらいですかね。大きさにもよりますが、1つの作品ができるまで1ヶ月くらいかかります。個展もやっていきたいのですが、アート関係の世界はまだよくわかっていないので、どういう風に進めていったら良いのかよくわからないのが正直なところです。今はとりあえず誘ってもらったらやる、という感じです。
絵を描く上でどうしていきたいですか?
みんなをハッピーにしたいです。いろいろな場所で飾ってもらえたら嬉しいな。個展ではまったり系の自分の曲も流すので、音楽と絵、両方で喜んでもらえると良いなと思っています。
今年1月いっぱいまで浅草にあるたい焼き屋『浪花家』でGOMAさんの個展が開催されていた。たい焼き屋店主の安田さんにお話しを聞くと、新聞広告でたまたま掲載されていたGOMAさんの絵を目にしたとき、思わず涙を流し、お店で絵を展示するオファーを出したそうだ。

元気を与える存在に

これからの目標を教えてください。
僕と同じ高次脳機能障害と診断されている人は40万人以上いると聞いています。その中で交通事故で発病した人の占める割合もとても多く、残念ながらその数はどんどん増えている。後遺症を抱えて生きるってすごく複雑だと思います。誰がいつそうなるかはわからない。そうなってしまった人のガイドというか、少しでも元気を与える存在になりたいと思っています。講演会のオファーや、本の出版の話もいただいています。あとは、継続して身体を回復する事も目標です。
ご自分が辛いときに誰かのことを考えるのはすごいことだと思います。
これはみんなに教えられました。事故で後遺症を抱えることになってから「自分の人生は終わった」って思っていたのに、初めて個展をやった時、僕の復帰を待ってくれている人がいることを知って本当に嬉しかったし、やっと居場所を見つけたと思った。そして今まで接することのなかった人、同じ境遇で戦っている人、そういう人もたくさん来てくれて泣きながら、ありがとうって言葉をくれたんですよ。そういう姿を見ていると「人生まだまだ終わってないな」「もう一回がんばらなあかん」って思えるようになりました。

ARTIST PROFILE

GOMA

ディジュリドゥ奏者・画家。1973年生まれ、大阪府出身。本場アボリジニ直伝のディジュリドゥで日本の音楽シーンで活躍。2009年、交通事故に遭い高次脳機能障害を発症。事故後、突然緻密な点描画を描き始め、画家としての活動を始める。現在は、音楽活動を続けるかたわら、展覧会や講演会など活躍の場を多岐に広げている。

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