KOBE ART MARCHE

Interview 03 / Sadaharu Horio

堀尾貞治/生きること=創作

神戸、御崎公園駅の運河に近い場所に住んでいる現代美術家の堀尾貞治さん。堀尾さんは戦後の日本を代表する前衛芸術運動のひとつ『具体美術協会(以下、具体)』のメンバーのひとりで、三菱重工神戸造船所に定年を迎えるまで勤めながら仕事と美術活動を両立してきた。定年後の現在も「あたりまえのこと」をコンセプトに制作を続け、年間100本以上の個展やグループ展、パフォーマンスなどで精力的に活動している。堀尾さんのご自宅兼アトリエを訪ね、日々の創作活動や、今までの歩みについてお伺いした。

Photo: Shingo Mitsui Text: Shingo Mitsui / Yuki Teshiba

目に見えないものを表現する

絵の道はいつ頃から志したのでしょうか?
絵はもともと好きやったんです。4人兄弟でぼくは長男やったんですが、親父の方針で長男は働いて弟は学校行って、というルールがあって近所の三菱重工に勤めました。そこで毎日働きながら、創作活動もして画家になったんです。当時、ぼくは会社勤めしていたから、自分でお金を儲けてその中で制作をした、というわけです。与えられた仕事はちゃんと消化して、プラス自分の生き方があるんですよ。
堀尾さんは1985年以降、「空気」という見えない存在を「あたりまえのこと」として可視化することにこだわり、さまざまな試みをしてきたという。身の周りのものに毎日1色ずつ塗り重ねていく「色塗り」は堀尾さんの代表的な作品のひとつだ。
アトリエで作業してもらいながら色塗りの生まれた経緯について聞いてみた。
あるとき色々と行き詰まって、ノイローゼになっていたんです。そんなとき、会社の友達から新興宗教の勧誘を受けて集会に出かけてみたのが大きな転機でした。教祖さんと話す機会があって、ぼくが「神なんかおらへん」と言うたら「君は空気見えるか?」って質問されたんです。「見えませんわ」と答えたら、「見えないからって神が存在しない証明になるか。じゃあ空気は見えないが、ここで息を止めてみなさい」と1本とられたわけです。見えなくても空気はあたりまえに感じられるでしょ。そんなやりとりから、「これを将来のテーマにしよう」と思ったんです。空気は形がないからどんな風にしたら表現できるかってことを考えて生まれたのが色塗りです。今では1年間100点以上の日用品を刷毛1本で塗って、京都のアートスペース虹っていうところで毎年発表しています。

作品は興奮でつくるべき

書斎部屋にもお邪魔すると、机の上には落書き帳やはさみなどが置かれ、四方の壁や天井に取り囲むように格言や小さな作品群が所狭しと貼り出されている。
まず起きて「1分打法」といって1分間で10枚ぐらい、らくがき帳に絵やエスキースとかを描くんです。わしと同じ名前の王貞治の「1本足打法」を文字ってます。その後1階で色塗りをしてから手紙書きをするんです。海外の知人・友人やギャラリーへの返事を書いて午前中が終わると、その後あちこち画廊まわりですね。
アトリエもそうでしたが格言がたくさんあるのには何か理由があるんですか?
考えたんではなく作業をしていると格言も引っ付いてくるんです。そこにもありますよ。「明日を最も必要としない者が最も快く明日に立ち向う」「芸術にやりすぎはない」「正面よ大志を抱け」とか。みな正面向いてないやろ、逃げてばっかいて(笑)。人間はずっと聡明やないから、言葉を見てああそうかって気づかなあかんやん。美術も、格言もどっちもいっしょ。ハートからボンっとくる。今っていうときにはもうハートにきてるんですわ。女性の裸を見たときみたいな興奮で作品も出てこなあかんわけです。

一番大事なのは好きかどうか

10年ほど前、堀尾さんが仲間と「空気美術館」という運河を利用した美術館の跡地に案内してもらった。この運河で発表した功績が称えられて、自然素材を用いて地球上に作品を構築する美術ジャンル「アースワーク」のひとつとして新聞や書籍にも載ったという。
この運河で空気美術館っていうのを1年間やったんです。今の新長田のケミカルシューズのところにあるオブジェと同じものを作って流したり、百貨店の巨大な垂れ幕をもらってきて服作ってみんなで着たりしました。もし空気美術館が残ってたら、ここが日本一おもろい場所になったんですけどね。当時は木場があって毎日ここに住んでたんだから。運河でなんども寝ましたよ(笑)
空気美術館のほかにも2005年には横浜トリエンナーレに参加し会期中、83日間毎日新作のパフォーマンスを行ったり
「100均アート」と称して約1万枚の作品を描いてきたそうだ。堀尾さんにとって創作とは何かを聞いてみた。
生きるってことが創作やから。誰のためでなく自分が生きたいようにしたらええねん。まず、何が大事か言うたら、好きやいうことですわ。ぼくは勉強も何もしてません。中学出ただけやで。具体の元永定正の言葉で「我流は一流や」いうのがある。ピカソもマティスもそうやけど、ええ作家はみな我流。我流っていうのは全く違うところでシチュエーションを起こすいうことやで。みな囚われてるねん。茶碗があったら茶碗で飯食うもんや思うとるけど、それでお酒もお茶も飲めるし、投げたら武器にも変わるしどんどん変わるやん。決めつけず、小さくまとまらずやるべきやねん。
今後の活動について考えてることがあれば教えてください。
ベルギー人のぼくの作品のコレクターであるアクセル・ヴェルヴォールト氏と一緒に、人間国宝が作る越前和紙の作業場へ紙を買いに行ったんです。彼がぼくの仕事のために紙を買い付けにわざわざ日本まで来てくれたんですよ。今度年明けに彼のお城へ行くんですわ。ここで100メートルぐらいの作品を作る予定です。芸術っていうのはぜったいおもろい。こんな楽しいことはないから、やめられないんですね。

ARTIST PROFILE

堀尾貞治

現代美術家。1939年生まれ、神戸市兵庫区出身。具体美術協会の元メンバー。具体に1965年に初出品後、解散する1972年まで在籍。現在は、年間100本以上の個展やグループ展、パフォーマンスに取り組みながら、「あたりまえのこと」をテーマに身体的行為から生まれる美術表現を行っている。

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